1835年、ミンマン(Minh Mang)帝がヨーロッパの船に対し、ダナン港へのみ入港を許可したため、ダナンは領土の拡がったベトナムの中部随一の貿易港となりました。ダナンはそれまで、船舶修理、農林水産業、貿易業などで、小さいながらも栄えていました。
1889年フランスがベトナム全土を侵略した際、ダナンはツーレイン(Tourane)と名付けられました、そして植民地化され、インドシナ総督の管理下におかれました。
20世紀の初め、ツーレインはフランスの都市に習って建設されていきました。インフラ、生産技術が整備され、農業、商業、輸出加工業(お茶、食料品、氷、酒類、魚醤など)、船舶修理、貿易業務などの小規模企業が発展しました。そしてハイフォン(Hai Phong)市、サイゴン(Sai Gon)市と共に、ツーレインはベトナムの重要な商業の中心地となりました。
1950年、フランスはバオダイ(Bao Dai)帝の政府に都市の自治権を与えました
1965 年3月、アメリカ軍がダナンに上陸し、軍事拠点を構えました。1967年、ダナンを第一・第二戦略地域の政治、文化、軍事面の中心にするため、当時の南ベ トナム政権下で大都市として認められました。アメリカ軍は、ダナンに飛行場、港、銀行、情報・通信システムなど、軍用基地としてのインフラを整備しまし た。当時は手工業に代わって機械工業が発展していました。しかし戦争で数万人の人々が難民キャンプに避難したため、市内では犯罪が増え、生産活動は停止し ました。
1975年の全国解放統一後、ダナンはクァンナム(Quang Nam)省の都市として、戦争の傷跡を克服し始めました。それには常にいろいろな難問がつきまといましたが、ドイモイ政策によって、後々、多くの成果を達成していきました。
1996年11月6日の国会で、ダナン市とクァンナム省に二分することが議決されました。これにより、ホアヴァン(Hoa Vang)県とホアンサ(Hoang Sa)島地区が加えられ、新しいダナン市が誕生しました。