1533年にユオン・ヴァン・アンが書いた「烏州近録」という本により、ダナン地名はレー・タン・トン帝王時代の人物を礼拝する「ダナン海口の寺院」という名文として最初に登場した。
ダナンという地名は、チャム語の「大河」または「大河口」という意味である。ハン川の河口にあり、前は海、後ろを山に囲まれるという厳しい地形にあるダナンは、16世紀ごろの地図にも見ることができる(例:安南景勝図、または安南通国図。
また、この地名についてハン川に関する別の名前が昔、(ハン川の)河口と呼ばれていた。XVII世紀の地図に描かれた「Cua Han」は民間だけではなく、欧州人にもよく呼ばれた。
1615年においてBUZOMI神父はPaques式の際にダンチョン(DangTrong)(その時に大越国は二つ分けられ、ダングアイ(Dang Ngoai :国の中部から北方向)とダンチョン(Dang Trong:国の中部から南方向)と呼ばれた)に来て、あるところに小さな教会を立てて、「Kean」という名前をつけた。「Kean」という地名はアレクサンドル·デ·ローデス(Alexandre de Rhodes)が1666年に描いていた有名なマップに記載され、ハイ・ヴァン(Hai Van) 峠の麓(ふもと)に位置していたことで、当時の人々によく呼ばれた名前だった。
フランスの植民地になって以来、この地名は欧州人に「Tourane」の名前を付けられた。XVI世紀からXVIII世紀の地図、記録書には「Turon及び Toron、 Taraon、 Touan、Touane、 Touron 、Tourane」という地名が記録された。
ダナン河口からソン・チャ山を見れば、ダナンが「蜆のような形が現す海港」または「小さいけど厳しい山の海港」だと言われたから、中華人に「蜆港(Hieu Cang 」、現地の人々には「ヴン・トゥン (Vung Thung)」と呼ばれていた。
1945年8月の革命の後、「Tourane」という名前は「タイフィエンThai Phien)」に改称された。Thai Phienはクアン・ナン地名の有名な愛国者であり、1916年におけるユイ・タン決起のリーダーとして国民から立ち上がった人の名前である。
「Thai Phien」という名前を付けた時期から2年後に「ダナン」に再改称され、今までまだ変わってないとのこと。